THE INTERVIEW 007

早稲田大学探検部【後編】

THE INTERVIEW 007
早稲田大学探検部【後編】

THE INTERVIEW 007

早稲田大学探検部【後編】

THE INTERVIEW 007

早稲田大学探検部【後編】

初の海外遠征を終え、順調に早稲田大学探検部員として成長していく田口氏。ところが、ここにもコロナ禍が到来します。世界中でいまなおつづくこのパンデミックにより、探検部はそのメインイベントである海外遠征に行くことができなくなります。探検部の存在理由が大きく揺らぐなか、新たに幹事長となった田口氏が目を向けたのは、国内の未知を探検することでした。

未知なる道を拓け

世界中の探検家を閉じ込めたであろうコロナ禍。その影響はもしかしたらプロの探検家よりも学生探検家に大きかったのかもしれない。2020年度以降、早稲田大学は探検部の活動を制限した。島でのサバイバルオリエンテーリング(新歓合宿)はできなくなった。もちろん、海外遠征も。田口氏の2度めのヒマラヤ遠征はもう2年もお預けとなったままだ。

ただ、大学が禁じたのは主に部としての活動だった。いち探検家としてであればネパールに飛ぶことは可能ではあった。しかし、彼は早稲田大学探検部として活動することにこだわった。

「大学の公式の許可を得て、ちゃんと探検部として実績を残したって発表したいんです」

それはあの1000㎞のヒマラヤ隊を最後までやり切ったからこその想いなのかもしれない。

2年が経ちあのヒマラヤ隊のメンバーで今年残るのは自分だけとなる。だからこそ成し遂げたい想いがある。 写真:小野寛志

実は早稲田大学探検部が1959年に「探検研究会」としてスタートした理由のひとつが、まだ当時は簡単ではなかった海外へと出かけるためだった。その創部の意思は引き継がれ、部員は毎年、海外遠征に出かけた。それだけ早大探検部にとって海外遠征は特別なものなのである。

その志が叶わない唯一の世代の幹事長に田口氏はなった。

だが———、止まらなかった。

「新入生も入ってきたし、何もしないワケにはいかない。海外遠征ができないのは仕方ないので、そこはちょっと置いておいて、この機に改めて国内のほうに目を向けてみようと考えました。ちゃんと日本語が通じて、日本語の資料がこれだけある、日本のほうが明らかに探検はしやすいんじゃないかって」

国内を掘り返すと、そこには未知が眠っていた。昨年、田口氏が計画した探検のひとつに「岐阜の迷い家(まよいが)伝説」というものがあった。

「山のなかで迷った旅人の目の前に突然大きな寺院や館が現れ、そのなかに入ってみると財宝を見つけるんです。不思議に思いつつも、一度村まで戻り、再びその場所に行くと、その寺院が跡形もなくなくなっている。そういう伝説が日本には結構あって」

迷い家伝説は民俗学者の柳田國男が記した『遠野物語』のものが有名だが、彼が探検したいと考えたのは岐阜にある日本一の藪山に伝わるものだった。藪が濃すぎて積雪期以外は登ることができないと言われるその山では、寺院ではなく何重もの石塔が現れ、そのなかに仏像や法典があったと記されている。

迷い家伝説が伝わるその山は、日本二百名山中の最難関とさえ言われる登山道のない藪山。その先にはヒマラヤへの再挑戦を見据えていた。

「調べてみると、そこは修験道の聖地でもあったんです。岩山には横穴があって、そのなかに仏像や経典が奉納されていたという記録を見つけたんですね。だから、もしかしたら伝説は石塔ではなく洞窟だったのではないかと仮説を立てたんです。その洞窟を探検によって発見できたら石塔伝説の真実が明らかになる。そんな風に検証できたらおもしろいなって」

これまでも探検に行く前には仮説を立てていた。ただ、コロナ禍において、なぜ探検しに行くのか意識するうちに、これまで以上に目的や結果をより考えるようになった。

それは探検家としての成長にほかならなかった。

こうして探検部は、いまもなおコロナ禍というもっとも困難な状況に立ち向かいながら、その自力はむしろ増したと言える。


ナカタン氷河調査隊

そして2022年。いまだ大学からの許可は下りていないが、今年こそは再びヒマラヤに行きたいと考えている。

「この2年は、国内でいろんなテーマを見つけて探検したんですけど、やっぱり自分のメインとしたいテーマはヒマラヤでした」

2023年の春に卒業予定の田口氏にとって、今年が長期遠征に挑めるラストチャンスとなる。だが、いまのところ見通しは立っていない。何が彼を突き動かすのか。実は、前回の1000㎞のヒマラヤ隊の際に地質調査は完遂した彼だが、もうひとつの目標であったナカタン氷河へは、度重なる予定の変更により、到達できていなかった。

「だから、リベンジというよりは『つづき』なんです。あのときに、最初に行ってみたいと思ったのがこの氷河だったんです」

そこは山に囲まれた山岳氷河。ナカタン氷河というのは探検部員が呼んでいる通称で、正式名称はまだない。ここでも田口氏の目的は簡単な調査だと言う。その調査内容はこの2年を経てさらに具体的になっていた。

「最初はその変わった形の氷河を見たい、地域全体を見たいと思ってたんです。その氷河の周辺には融解水を頼りに生活している人々がいるんですね。
でも調べていくうちに、その氷河が地球温暖化によってどんどん解けていて、将来的に生活水が取れなくなる、大幅に減る可能性があるということがわかって。
さらに、氷河湖と言って、急速に解けた氷河の水が山中に溜まってダム湖のようになっているところが無数にあり、それらが決壊してふもとの村を丸ごと流してしまうような災害が起きているということも」

そんな事実を知るにつれ、彼は、自分以外のために未知を拓きたいと考えはじめる。

ヒマラヤに暮らす人たちのためにできることはないのか。国内で氷河を研究している北海道大学の教授に連絡を取ると、自分が探検しに行くことで貢献できることはないかとストレートにその想いをぶつけた。

部に脈々と引き継がれる「連絡ノート」。学生らしい自由なアイディアと発言に溢れている。いまでは著名な作家となった元学生の言葉も残されている。

ところが、返ってきた答えは、現在の氷河調査の主流が現地に行かないリモートセンシングのため、人工衛星の画像によって氷河の後退などを判断でき、実際に現地まで行く必要がないというものだった。

しかし、いつだって大人は若者の熱意には応えたいものである。

「ひとつだけ、現地でないとできない、氷河の温度調査という方法を教えていただきました。氷河のなかの温度を測ることで、その氷河が今後解けやすい温暖氷河か、降雪次第で大きくなる可能性のある寒冷氷河かがわかるんですけど、小さいかもしれないけれど、その得られたデータがいつかヒマラヤの人々に役に立つかもしれない」

危険性がわかればいち早く対処することができる。それは直接的ではないにしても、ヒマラヤの人々の生活を助けることになるかもしれない。その願いの裏には、ひとつの“気持ち”があった。

「探検ってよく侵略に例えられるんですけど、そのとおりだと思うんです。現地に行って、どっちかって言うとその環境を荒らして帰ってきている側面があると思っていて。だから、『未開の地域』というコンテンツをただ消費するのではなく、本当に微力なんですけど、調査を記録として残せたら、地元のお世話になった人たちの生活の役に立つかもしれないって」

それは現地に赴く探検家しかできないことであり、現地を知る探検家だからこそたどり着いた田口氏の現在地である。


探検家の生まれた日

2018年、春。その日彼は入学したばかりの早稲田大学の新歓ブースを歩いていた。3浪までさせてもらって目指した医学部には入れなかった。これほどまでに努力しつづけたことで夢破れたのははじめてだった。どこかで頑張りつづけた夢は必ず叶うと無意識に思っていた。

さまざまなサークルの先輩が勧誘の声をかけてくる。この先輩らはさして自分と年齢が変わらないのだろうな、とどこか醒めた目で見ている自分がいた。夢の代わりなんて見つからないだろうと―――。

探検部OBである作家の高野秀行氏が持ち帰ってきた呪術用のチンパンジーの頭蓋骨。いつの間にか探検部のマスコットとなっていた。探検部Twitter(https://twitter.com/wasedatanken)のアイコンもこちらである。

ふと、「探検部」と書かれた看板を見つけた。探検は自分が幼いころに医師を目指したいと思うきっかけであった。地べたで雀卓を囲っている人らがいるし、ほかのサークルとはまったく雰囲気が違うが、いったいどんなことをしているのだろうか。部員らしき男と目が合うと声をかけてきた。


「君、いまから休学すれば、夏にはヒマラヤに行けるよ!!」


その言葉がすべてのはじまりだった。

気づいたときには休学届の書き方をその先輩に教わっていた。先輩はすでに6年生が確定しているという。一瞬、ようやく入った大学なのに両親になんて言おうかと頭をよぎった。でも、この先輩らの話を聞いて以来、何かを期待するように、ずっと動悸が止まらない。まるで医師の道を諦めて以来、止まっていた心臓が再び動き出したようで、ここでやめるなんて言ったら、この鼓動が止まってしまうのではないかと不安になるほどであった。

その自分を再生させてくれたワクワクを信じ、彼は今日も探検をつづけている。

にしむら 西村

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