MIKAMI’S REPORT 006-2
草原の国、モンゴル。この国で、日本の主催者が開催しているラリーが「SSER FA COAT ラリーモンゴリア」だ。ラッキーなことに、このラリーに参戦できることになった元FRM編集長・三上勝久。初参戦のレポートをぜひ読んでほしい。全4話。
CAPの重要性
MIKAMI’S REPORT 006
RALLY MONGOLIA 2017
VOL.2
ETAP・2は約70㎞のリエゾンからスタート。僕はスタートしてすぐにバイクを止め、ナビまわりの修復を始めた。修復は15分くらいで終わったが、もともと最後尾に近いスタートだったのでもう後ろにはほとんど誰もいない。後ろにいるのは、やはりナビまわりの修復をしていたらしい、齋木裕可さんだけだ。
20㎞ほど走って舗装路に出たが、ところが途中のダートでまたナビまわりがグラグラし始めた。直ったようで直ってなかったのだ。舗装路の道ばたで直していると、齋木さんが走り去って行った。
66㎞ほど走ったところの街でガソリンを入れてSSに入る予定だったのだが、そのガソリンスタンドが見つからない。街の人に何回か聞いてようやくわかったのだが、その頃にはもうSSのスタート指定時刻はとうに過ぎていた。
このへんから、ラリーって難しいと思い始めていた。自分が性格的に楽観的過ぎる(つまりテキトー過ぎる)のと、緻密な準備が苦手、計画性がない自分にとって、準備と計画性が決め手とも言えるラリーは本当に難しいのだ。
最後尾でSSをスタートしたのだが、またすぐにナビまわりがダメになった。結局、ナビまわりの不具合はETAP・4まで解消せず、それまで毎日コースの途中でなんらか手を入れる繰り返しとなった。
なんだか、人生みたいだと思ったね。どこか不具合があったらきちんと徹底的に直しておかないと、一カ所の不具合がきっかけで他の場所にも不具合が発生し、ドミノ倒しのように事態が悪化していく。そしてその不具合は、ミスコースを誘発する原因ともなるのだ。ナビまわりが揺れ始めて気になったり、燃料の残量を計算していたりして集中力が途切れたときにミスコースすることが多い。
ETAP・2にして思ったのは、やはりラリーは準備が大事だってこと。きっちり壊れないマシンを作り、テストもして、本番ではナビゲーションと走りに集中できる環境を作らないと、うまくいかないと悟ったのだ。だいたい、途中で止まってガソリンを入れているようじゃダメだとも。でも、ビッグタンク、高いんだよなあ……。
なので、この日はCAP(方角)があっているかどうか、常に気にしながら走るようにした。この日はとても暑く、コースも跳ね上げられるような箇所が多く難しかった。暑いだけでなく強烈に乾燥していて、ただ走っているだけで唇がガビガビになっていく。義務づけられている携行品のなかにリップクリームがある理由がよくわかった。受ける風がもはや熱風なのだ。
この日から、コース上で会うメンバーが一定的になってきた。昨年の日高ツーデイズエンデューロに参戦していた、韓国人のリーさん、同じく韓国人のジンさんらだ。
途中、ガソリンを入れていたら、ラリーに関係ない韓国人の観光客(ナチュラリストだそうだ)がやってきて水をくれた。そこにリーさんが来たが、リアタイヤのムースがパンクしてしまっている。この日は全般にトラブルの多い日だった。
到着したのはゾーモット。ラリー・モンゴリアでは著名なゴビ砂漠南部のオアシスで、中国国境に近い場所だ。SSERが用意したテントが張られていて、僕らはそこで寝ることになる。ところが、僕らの荷物を積んだトラックはこの日中に到着しないとのこと。持っているもので出来ることは少なく、食事をしてすぐ寝ることにした。
GPSでの走行
ETAP・3。まだ3日目だが、ここまでで学んだことも多くあった。それはCAP(方角)がとても大事だったこと。コマ図の分岐の指示には必ず進行方向の方位が数字で書いてあるのだが、僕はほとんどそれを見ていなかったのだ。
その理由は、もってきたGPS(ガーミンeTrex 10)の画面が小さくて文字も小さくとても見にくかったから。止まれば見えるのだが、いちいち止まって見るのは面倒臭い。なので楽観的な僕は「こっちだろう」と適当に判断して走っていたのだ。
また、ミスコースからのあまりよくない復帰方法も学んでしまっていた。それは、迷ったら次のGPSウェイポイントに向かって走ればいいという考え方だ。
ラリー・モンゴリアの舞台となっているモンゴルの大地は本物の荒野だ。草が生えていたりいなかったりするけれども、道じゃないところでも走れてしまうところが多い。
なので、わからなくなってしまったら次のウェイポイントを目指して直行すれば大丈夫、ということも多いのだ。だが、道じゃない場所を走っていると穴や崖、川などで突っ切れない場所に出会うこともあるし、なにがあるかわからないからスピードも上がらない。そして、それに頼っていると、じつは酷い目にあったりもするのだ。それをこの日、やってしまった。
軽い遭難
途中まではミスコースもほとんどなく、いい感じだった。前半のハイスピードなセクションで多くのライダーを追い抜き、僕は挽回を目指していた。690 ENDURO Rはハイスピードセクションは得意なので、小排気量のバイクは面白いように抜ける。
途中、佐藤直美さんと一緒にミスコースしてしまったが、GPSで方向を確認して復帰。道は次第にアップダウンの激しい山岳路となっていき、やがてウオッシュ(枯れ川)へと入っていった。サンドと岩の難しい路面だが、こういう路面にはBAJA1000で馴れているのでなんてことはない。
しかし、後ろからモンゴル人のKTM450RALLYに追いつかれたあたりでミスコースしてしまった。抜かれたくないと思うあまり、焦ってしまったのだ。
気がついたらタイヤの跡も道も一切ない。ええい面倒くさい、次のGPSポイントへまっすぐ向かってやれ、と思ったのだが、次のGPSポイントの手前にチェックポイントがあることを思い出した。オンルートでなく、GPSで直行してしまうとチェックポイント不通過になってしまうかもしれない。
そこで渋々、前のGPSポイントまで戻ることにした。直線距離で1㎞くらいなので、すぐに戻れるはずだ。
周囲は小高い山が連なっている場所で、道を確認するのを兼ねてとりあえずその山に登ってみる。かなりの斜度だが、地面が乾いているので簡単に上れてしまう。そうして、いくつかの山を登り、下り、徐々にGPSポイントに近づいていった。
しかし「ここ降りれるかな?」と思って下っていったとある山が、途中でかなりの激下りになり、やがて沢に入りこんでしまった。
沢はまるで日本庭園のように巨大な岩がゴロゴロしていて、エルズベルグ(ハードエンデューロの聖地)のセクションのようだ。しばらく走っていると、1mくらいの下りステアケースが出てきた。なんとかがんばって降りる。
GPSポイントまであと400m、というところになって、これはヤバいと思った。1mなんてもんじゃない、巨大な段差が現れたのだ。ほぼ直角に見える。高低差3mくらいの崖の上に出てしまったのだ。
これはまずい。軽いバイクなら落としてしまえばいいが、ナビゲーション機器のついた690を落としたら、大事な箇所が壊れてしまう可能性が高い。
足で一度歩いて下りてみてラインを探すが、押して下ろすしかないことが判明。結局、時間をかけて690を山肌にこすりつけながら、なんとか下ろすことに成功した。
しかし安心したのもつかの間、今度はどう考えても690が通り抜けらないほど岩が両側からせり出している箇所が出てきた。もう、写真を穫っている余裕もない。これは軽い遭難だな、と想い始めていた。最悪、抜け出せない場合は歩いてルートに出ればなんとかなるだろうが、ここでバイクの下敷きになったりしたら誰にも気づかれることなく干からびること必至だ。
690を押しながら転倒したりしつつ、時間をかけてなんとか通過でき、GPSポイントに戻ったときは本当にほっとした。ミスコースした場所まで戻り、一度止まって左右をよく見たら、左側にタイヤの跡があるじゃないか。
そのすぐ先にチェックポイントがあり、到着するとオフィシャルに言われた。「どこで遊んでたんですか」。
僕は完全に最後尾になっていたのだ。
さらにペナルティ
その先も長かったが、美しい風景が続いた。天気は曇りだったけれども、地面が不思議なピンク色で緑の草が生えているような場所があったり、美しい湖があったり。しかしひどく遅れているので、写真を撮っている気分になるわけもなく、ひたすら飛ばして走る。
ようやく街についてSSフィニッシュ。同じ街からSS・2が始まるのだが、山で「遊んだ」疲れもあって、どうしてもコーラが飲みたい。街中で人に身振り手振りで店を尋ねてスーパーを教えてもらう。店でオレンジジュースやコーラを買って一休み。しかし時間の余裕はないのでさっさと行こうとしていると、店の女の子が出てきて一緒に写真を撮ろうと言う。いいよと言うと、彼女は携帯を持ってくる、というような仕草で一度彼女は店内に戻っていってしまった。
早く行かないと指定時刻に間に合わないのだが、彼女に断らずに黙って行ってしまうのも感じが悪い。ええい、いいや、どうせ遅れてるんだ、と彼女が戻るのを待ち、写真を撮ってからSSスタートに行ったら、案の定、数分遅れていた。
SS・2は151㎞あり、そのあとゾーモットまで75㎞のリエゾンだ。コースは飛ばせる箇所が多く快調に走っていたのだが、SS・1でかなり遅れていたためフィニッシュ地点ではかなり暗くなってしまっていた。
SSの最後のあたりで、韓国人のジンさんというライダーを抜いたのだが、SSを終えて街のガソリンスタンドでガソリンを入れていると彼がやってきた。
休憩しながら話すと、彼は昨日の夜ビバークにたどり着けず、路上で寝て朝到着し、そのままスタートしてきたのだそうだ。だいぶ疲れているようなのでジュースやチョコレートを分けてあげ、ビバークまでのリエゾンは一緒に行くことにした。
その街を出るときには、すでに陽はとっぷりと暮れていた。まったくの暗闇だ。まあ、もうゾーモットのビバークに帰るだけだからゆっくり行けばいい。
ジン君はオフロードを始めて間もないそうで、ラリーモンゴリアはとても辛いという。「うまい人は早くスタートするから明るいうちにつくけど、遅い僕のようなライダーは毎日暗くなってしまう」と不満顔だ。頭痛もひどいそうで、もう限界、といった表情だ。ゴーグルもミラーレンズのものしかもっていないので前がよく見えないと言うので、クリアの保護用サングラスを貸してあげた。
途中何度も休みながら彼と一緒に本当にゆっくり帰り、3時間近くかけてようやっとビバークに到着。時刻は深夜0時を過ぎていた。
翌朝、リザルトを見たら1時間39分もペナルティがついていることを知って愕然とした。SS・2のフィニッシュからビバークの到着までは1時間30分と決められていたことをすっかり忘れていたのだ。それをすっかり忘れてゆっくり帰ったため、巨大なペナルティがついてしまっていた。
まあしかし、やってしまったことは仕方がない。ジン君も無事に帰れたし、万事オーライだ。
休息日
本来ETAP・4は、日が変わった直後の深夜0:00から行われる予定だったのだが、前日に選手たちが預けたバッグが到着しないトラブルがあったため、朝から行うことになった。ナイトランに備えて準備をしてきたライダーたちはがっかりしていたが、僕はほっとした。
ETAP・4は本来休息日だが、朝120㎞ほどのSSを走ってから午後休息、ということになった。
ETAP・4のSSを走り出してすぐに、雨が降ってきた。他の日に比べると唯一短いSSだったが、決して簡単ではなく、コース上で2人のライダーがクラッシュしているのを目撃した。
1人は佐藤直美さんで、負傷してそのままリタイア。もう1人はモンゴル人のAMGALAN ENKHTUVSHIN選手。走行中にフロントフォークにトラブルが起きて転倒したらしい。僕の690でも120㎞/hは出そうな場所だったから、450 RALLYに乗る彼は相当な速度で転倒したのだと思う。
SSをフィニッシュしたあと、バイクの整備を行った。懸念となっていたナビまわりをしっかりと直し、前後タイヤを交換。リアタイヤを交換しているときにモンゴル人が「俺がやってやる」とばかりにやってくれたのだが、空気を入れたらチューブに穴が空いていてやり直し。ちぇ、と思いつつ自分でやり直したら、焦ったせいか自分もやらかしてしまって、スペアチューブがなくなってしまった。情けない……。
また、エンジンオイルをチェックしたら、これが凄く減っている。持っていた1ℓを入れても正常なレベルに届かない。うなぎ工房の石原さん、ミサイルファクトリーの小川さんに足りないオイルやタイラップ、チューブを分けてもらってなんとか整備を終えることが出来た。本当にみなさん、ありがとうございました!
整備を終えてビバークを歩いていると、リタイアしてトラックに積まれているバイクがやたら多いことに気づいた。この前半4日間だけで、もう8名もリタイアしていた。
休息日の夜はビールが振る舞われるパーティだった。明日から後半戦だ。