MIKAMI'S REPORT 006

RALLY MONGOLIA 2017

VOL.1

MIKAMI’S REPORT 006 – 1

草原の国、モンゴル。この国で、日本の主催者が開催しているラリーが「SSER FA COAT ラリーモンゴリア」だ。ラッキーなことに、このラリーに参戦できることになった元FRM編集長・三上勝久。初参戦のレポートをぜひ読んでほしい。全4話。

MIKAMI’S REPORT 006

RALLY MONGOLIA 2017

VOL.1

青と緑だけの世界

 最終日は、過酷だった8日間を走りきろうとしている選手達を祝福するかのように、よく晴れた。モンゴルならではの真っ青な空の下に広がるのは、360度どこまでも続く緑の草原だ。遠くには青く見える山並みが並んでいる。

 最終日の後半は、8日の間に大きな差を付けられてしまった井手川まみ選手(以下まみちゃん)を追って走ってみた。僕と同じく、これが初めての海外ラリーである彼女は毎日大きなミスを犯すことなく、早めにビバーク(キャンプ地)にゴールしている。

 スタートしてしばらくして彼女を抜くことは少なくなかったのだが、フィニッシュではいつも僕が大きく遅れてしまう。序盤は自分のミスによるマシントラブルだったけれども、中盤以降はミスコースが原因だ。なので、ラリー最後の10〜20㎞ほど、彼女がどうやって走っているのか見てみたかったのだ。

 彼女はトップスピードは大して出していないのだが、決して遅いわけではない。80㎞/hほどのスピードを余り変化させることなくたんたんと走って行く。そして、コマ地図の分岐点に来ると少し速度を落とし、地図と方位をしっかり確認しているようだ。

 じつは今日も、少し前に一度彼女を抜いたのだが、僕はその先でミスコースしてしまって、再び遅れ、そしてまた追いついたわけだ。もうSS(スペシャルステージ=競技区間)の残る距離はわずかだし、なので大人しくついて行くことにしたのだ。

 草原のなかに、サンドベージュの2本のワダチがくっきりと浮かんでいる。ところどころ、雨によって出来た水たまりが出来ていて青空を映している。非常に美しい眺めだけど、ハイスピードでその水たまりに入ると酷い目にあうので、そのたびに草原に出て迂回する。

 やがてゲル(モンゴルの遊牧民が居住する円形のテントのような住居)がポツポツと見えてきて、しばらくするとSSのゴールが見えた。先にゴールしていた小栗伸幸さんや原猛志君たちが写真を撮ったり、握手したりして完走を祝福しあっている。

 そうか、もう終わりか。

 僕は大きな荷物を下ろすような解放感と、夢のような日々が終わってしまう寂しさを同時に感じながら、青空と、緑の絨毯の間にあるフィニッシュにゆっくりとゴールした。

日本主催のラリー

 ラリー・モンゴリアは、四国、愛媛県東温市に本拠を置くSSER ORGANISATIONが1995年から開催しているクロスカントリー・ラリーだ。有名なダカールラリーや、モロッコラリーなどと同じスタイルのラリーである。

 開催当初の名前はラリーレイド・モンゴルで、1995年から2002年まで8回開催された後に一旦休止。2008年から再開され、今年は再開後10周年にあたる。

 今回エントリーした選手はモト(モーターサイクル)部門が31名、オート(自動車)部門が17組33名で合計65組だった。モト部門に参加した日本人ライダーは14名、モンゴル人が10名、韓国人が7名という内訳だ。

 ラリーは8月13日にモンゴルの首都、ウランバートルからスタート。8日間で約3900㎞を走って、再びウランバートルにゴールする。このラリーは1日のルートのことをETAPと呼ぶので、ETAP・1からETAP・8まであることになる。

 毎日のETAPのほとんどはSSで、ETAP・4が約120㎞であるのを除き、他はすべて500㎞以上。ETAP・1は715・54㎞と青森〜東京間に匹敵する距離だった。

車検、装備品検査は日本から船積みする際に行われるが、最終的なチェックもモンゴルで行われる。無事クリアして嬉しい本誌・三上
ホテル近くのウクライナ料理店で、ラリー前の会食。左から原猛志、佐藤直美、流忠良、篠原祐二、井手川まみの仲良し組。このウクライナ料理店は値段も安くおすすめ。ウランバートルでは、高めの店で食べて飲んでも1 人2000 円はいかないくらい

ラリーの毎日

 スタート日を除き、ラリーの毎日が動き出すのはだいたい朝6時くらいだ。6時頃から朝食が用意され、7時30分頃にブリーフィング(説明)が行われる。そして8時くらいに、前日の順位順にスタートしていく。スタートは1分おきなので、最後の選手がスタートするまでには1時間近くかかることになる。

 ライダーはスタートすると、コマ地図とトリップメーター(ラリーコンピュータ)、GPSの3つを頼りにルートを追っていく。GPSの使用は今年からだそうだが、かなり緻密なGPSウェイポイント(経由地)が事前に選手に渡されていたので、それをGPSに入力してこれもナビゲーションとして使った。

 ETAP・1、4、8を除く日はすべて毎日2本のSSがあり、SS・1とSS・2の間に30分〜1時間程度の移動時間兼休憩時間が設定されていた。選手はこの時間にガソリンを給油したり、軽食をとったりするのだが、時間的な余裕はあまりなく、つまり朝8時にスタートすると5〜8時間程度はオフロードを走りっぱなしになるイメージだ。

 ミスコースや重大なマシントラブルで大幅に遅れて、陽が暮れてしまうと大変だ。夜になってしまうとピスト(道)を追うのが極端に難しくなり、結果路上で夜を明かして朝に帰ってきた選手も何人かいたほど。

 彼らはビバークに戻ると、ほとんど寝ることなく、準備を行ってまた次のSSにスタートしていかざるを得なかった。

ETAP・1

 ETAP・1は、予期せぬ350㎞ほどの舗装路移動から始まった。スタートはウランバートル市内の高級ホテル、チンギス・ハーンホテルで、そこから約35㎞移動し、郊外からSS・1がスタートするはずだった。

 しかし、SSに予定されているルート上で急遽家畜の伝染病が発生したため通過できなくなり、SS・2のスタートまで舗装路での移動となった。ただし指定された時刻は平均100㎞位で走らないと間に合わない感じで、全選手ともかなりかっ飛ばして走ることになった。

 かっ飛ばして走るのはいいのだが、きれいな舗装は南に向かうとやがて穴だらけになってきた。100㎞/hくらいのスピードでうっかり穴に入ったら前転しそうなほどだ。前転までしなくても、フロントのリムを曲げたりバーストしたりといったことにはなりそう。直前まで穴が見えない場所も多くて気を遣う。

 南に行くにつれ、気温もどんどん上がっていき、空気は非常に乾いていく。左右には、雄大な草原が広がる。しかしその風景をぼんやり眺めていると穴に落ちてしまう。僕は数回「間に合わない!」とヒヤっとしながら全開のまま穴に飛び込んだ。ラッキーなことにパンクはなかったが、このときに受けた衝撃が、あとでトラブルを招くことになる。

 SS・2スタート地点の近くのガソリンスタンドでガソリンを入れた。ガソリンスタンドは日本と同じような現代的なもので、すべてフルサービスだ。オクタン価の最も高いガソリン(95)で1ℓ90〜100円くらいで、代金はモンゴルの通貨、トゥグルクで給油後に支払う。

 ちなみにモンゴルは硬貨が使用されておらず(存在はするらしい)少額でも紙幣なので、財布がコインだらけになる、ということがないのがいい。

初日から失敗の連続

 SSでは、各ライダーのスタート時刻が指定されているので、その時間まで待ってスタートする。スタート地点には日本人のオフィシャルがいて「そこで待機して」「はい来て」とガイドしてくれるのでわかりやすい。

 初日のSS・2は251・43㎞。そのあとビバークまで34・36㎞あるので、300㎞ほど走ることになる。スタートした時刻は午後2時くらいだったので、平均時速60㎞以上をキープしないと途中で日が暮れてしまうことになる。

 走り始めて、僕はとりあえずBAJA1000のつもりで飛ばし始めた。もちろん順位はいいほうがいいし、道は結構飛ばせるダートだ。平均100㎞/hは無理でも、70くらいはキープできれば3時間ちょっとでSSをフィニッシュできることになる。

 走り出してしばらくして、先にスタートしていた小栗伸幸選手を抜いた。モンゴルに何回も参戦しているモトクロスライダーで、トランポのオグショーの社長でもある僕と同い年のオフロードのエキスパート。今年はCRF250RALLYで参戦している。後で聞いたらマシンの馴らしをしていてゆっくり走っていたそうなのだが、僕はむっちゃ速い小栗さんを抜いたことで「俺って結構いけるんじゃね?」と思ってしまった。

 ほぼスタンディングで、コーナーもすべて攻めて走る。途中サンドの場所で佐藤直美さんが転倒しているのを発見。声をかけると大丈夫、と言うのでそのまま先に行く。

 コマ図とトリップメーターもバッチリ合っているし、まさに絶好調。なんだ、モンゴル、案外簡単なんじゃないか……と、100㎞ほど走ったところでミスコースに気づいた。

 幸い直前の分岐で間違えたとすぐに気づいたので戻ると、誰かわからないが1人のライダーが正しいのだろう方向に走り去って行った。ちくしょう、抜かれた、と思って焦る。

 しかしまた、どうにもコマ図と合わない箇所が連続して出てきた。焦っていると、後ろから三好慶一さんと原君があいついでやってきた。3人でしばらくブッシュの中を走っていたら、三好選手はブッシュをまっすぐ行ってしまった。原君はルートを確認しながら走っているようで、しばらく一緒に走っていたのだが、気がついたら僕のバイクのフューエルランプが点灯している。

今回のラリーでは330㎞ほどの航続距離が求められており、ノーマルのタンクでは到底足りないので携行缶を6ℓ分パニアバッグに入れて参戦した。また、ナイトランがあるためヘッドライト上にLED のサブライトを装着。タイヤはダンロップのD908RR をチョイスし、交換用としてD909 も運び込んだ。ナビまわりはKTM POWERPARTS のEXC 用を加工して装着したもの。車体自体の変更点はアンダーガード、ノグチシート装着、PHDS(ダンピングハンドルマウント)程度。ノグチシートは非常に快適でラリー中、尻の痛みに悩まされることは一切なかった

 僕はKTM 690 ENDURO Rで参戦していたのだが、予算の都合もあってビッグタンクを付けず、ウルフマンのパニアバッグに携行缶を合計6ℓもって走っていた。燃料タンクと合わせて18ℓとなるので、リッター20㎞として、計320㎞は走る計算だ。通常、日本では200㎞前後でフューエルランプがつくのだが、なんとモンゴルでは150㎞で点灯してしまった。残り2ℓのときにランプがつくのだとすると、燃費は15㎞/1ℓということになる。予想以上に悪い。

さらにトラブルも

 バイクをとめ、ガソリンをパニアバッグから出して入れている間に、原君は先に行ってしまった。日はだいぶ傾いてきていて、少し気持ちも焦ってきていたが、まあ、もう3人に抜かれてしまったし、焦っても仕方ない。落ち着いてミスコースしないように走ろう、と気持ちを切り替えて走り始めた。

 ところが、街が遠くに見えてきて、もうフィニッシュは近いのだろう……という場所に来て、またミスコースしてしまった。まったくコマ図と道路が合わないのだ。そして、フロントのナビまわりがいきなり大きく揺れ始めた。ギャップに入らなくても前後に大きく揺れていて、このままだと吹っ飛んでしまいそうだ。

 バイクをとめてチェックしてみると、ナビタワー(ロードブックケースとトリップメーターを載せているタワー)の下側のステーが折れてしまっていた。

 多くのライダーは、こうしたナビゲーションまわりの製作を、ラリーに通じているショップに依頼することが多い。今回もサポートで来ている〝うなぎ工房〟や〝ミサイルファクトリー〟などのショップだ。しかし僕はギリギリの予算だったため、全部自分で製作していた。

井手川まみ、小栗伸幸選手らのサポートで来ていたうなぎ工房の石原克巳さん。僕もたくさんお世話になった。本当にありがとうございました

 ナビタワーは定評のある、KTM POWERPARTS製品のEXCシリーズ用を使用していた。EXC用のため、690 ENDURO Rにはフィットしないため、下部のマウントは自作のステーで固定していたのだが、それが折れてしまっていた。

 このまま走るとナビまわり全体が修復不可能なほど壊れてしまいそうなので、仕方なく止まってタイラップで縛り、固定する。しかし、走り出すと全然直っておらず、また前後に振れ出すのでまた止まって縛り直す。こんなことを繰り返しながら、ふと地平線を見ると、まったく明後日の方向で土煙が立っている。

夜は快適なゲル

 結局、トップが2時間48分のところ、僕は4時間33分もかかってやっとフィニッシュした。途中で抜いた小栗さんは4時間2分で、原君は3時間48分。少々がっかりしたが、途中でガソリンを入れてバイクを直していたのだから仕方ない。最後の最後は、土煙の立っている方向にダメ元で行ってみたら、まみちゃんが走っているのが見えて、それについていった、というわけだ。初日からさえない感じだった。

 SSフィニッシュからビバークまでの道もわかりにくく、ビバークに着いたのはもう陽が暮れる寸前だった。ゲルが並んだツーリストキャンプで、中央にある食堂でははるか先にフィニッシュしていた原君や篠原祐二さん、カミオンで参加している菅原義正さんたちがすでに食事を楽しんでいた。

 この日はマラソンステージ(サポートなし。ゴールしたらすぐにマシンをパルクフェルメに入れなければならない日)だったので、ナビまわりのきちんとした修復は、明日スタートしてからルート上でやるしかない。

 ウエアを着替えてシャワーを浴び、食堂に行ったころにはもうみんな食事を終えてゲルに戻っていた。菅原さんにビールをご馳走になった後、僕も早々にゲルに入った。

 ゲルは案外広く、3台のベッドが置かれていても内部はゆったりとしている感じだった。同室だったのは三好さんと、ジムニーで参戦しているGS乗りの流忠良さんだった。

 早めに寝たのだが、すぐに足がつって目が覚めてしまった。これが、猛烈に痛い。声が出てしまうほどだ。寝ぼけていることもあり「足が痛い足が痛い」と口から悲鳴が出てしまう。机の上にロキソニン(鎮痛剤)とコムレケアを入れたケースがあるので、それを取りたいのだが、ほんの1mほどの距離なのに、体を動かそうとすると激痛が走るため手が届かない。それくらい痛かった。

 なんとか薬を飲んで、痛みが去るのを待つ。翌朝、流さんに「三上さん、昨日の寝言おもろかったわー。足つかない、足つかないって言ってて爆笑しましたわー」と言われた。

 この日から毎日寝る前にロキソニンを飲むようになり、以降夜寝てる間に足が攣ることはなくなったのだが、日本に帰ってから気づいたことがある。僕が飲んでいたのはロキソニンではなく、抗生物質だったのだ。プラシーボ効果(偽薬効果)って凄いな!

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