MIKAMI'S REPORT 004

FLY WITH MOTORCYCLE

第3話

MIKAMI’S REPORT 004-3

最大のミス

MIKAMI’S REPORT 004

FLY WITH MOTORCYCLE

第3話

あとで知ったことだが、SPOTのヘルプボタンを押すと、5分おきに同じメッセージが自動的に繰り返し送られるなんて、誰も知らなかった。そんなボタンを押すなんて考えてもいなかったからだ。甘かった。

緊急用のフタをめくってヘルプボタンを押した杉山は、400mほど先に明かりが見えるのを発見した。BAJA1000に出場するプライベーターたちのピットサービス、MAG7(マグセブン)の明かりだった。

彼らが、壊れたチェーンガイドを外し、曲がったスプロケットを直してくれた。バイクは直った。なんとか走れるようになった。MAG7とは契約していないし、もちろんお金も払ってないのに、スタッフたちは食べ物をくれ、飲み物をくれ、そしてマシンを直してくれた。杉山は悩んだ。このままここで、サポートの到着を待つか。それとも先に進むか。

先に進もう。このとき、もう1つの不運がチームを襲っていた。杉山がボタンを押した場所あたりでSPOTのベルトが千切れてどこかに行ってしまっていたのだ。杉山が悩み、先に進む決断をするまでの間、そしてそれ以降も、SPOTは5分おきに僕らにメッセージを送り続けていた。そのおかげで、イマイが持っていた連絡用のプリペイド携帯電話は残額分を使い果たしてしまって、使用不能となってしまった。

着信メールだけで、あらかじめチャージしておいた料金分を使い果たしてしまったのだ。これによって、事態はさらに悪化した。万が一、杉山からイマイにかけても、もう電話は繋がらない。チャージする電話料金をケチったツケが、ここで回ってきてしまった。

今から思えば、僕の携帯から杉山にかけ続ければよかったのだ。だけど、その時はそんなこと、誰も思わなかった。BAJAの闇の中で、きっと誰もが少しづつバランスを崩していたのだ、きっと。1993年のBAJA1000と同じだ。バハカリフォルニアの大地の夜は、未熟なライダーの心を弄ぶのだ。

救出

チームでミーティングして、クルマで行けるところまで行って、クルマで入れないようだったらプレラン用のCRFを下ろしてそれで助けに行こうってことになった。

GPSとにらめっこしながらコースと並行して南下する国道5号線を走っていく。SPOTが発信しているGPSポイントが近づいてきたところを何度か往復し、この道だろうと目星を付けてダートに入って行ったら、数kmもいかないうちにスタックしてしまった。2輪駆動のバンだ。当然のことだ。

みんなでタイヤの下の砂を掘り、何度も脱出を試みるがうまくいかない。脱出を試みるうちに、車体の下に付いている車軸まで地面につくようになってしまった。こうなったら、ちょっとやそっとじゃ脱出できない。

しかし、そんなときに運良く、ごつい4輪駆動車がやってきた。レースカーのサポート車だ。「助けてくれないか」と止めると「おいおい、そこは駐車禁止だよ」と笑いながら、明るいアメリカ人の集団がゾロゾロ降りてきた。僕らのバンは彼らに引っ張ってもらって、なんとか舗装路まで戻ることができた。ラッキーだった。しかし、このトラブルで1時間は失ってしまった。杉山からのメッセージは相変わらず途絶えていた。僕の携帯も、ここでは圏外だった。

バイクを下ろして、タケさんが杉山のいる場所に向かうことになった。真っ暗な国道沿いで、荷物を下ろしてプレラン用のCRFを下ろし、タケさんが疲れた体にムチ打ってウエアを着て、夜の砂漠へと入っていった。

ノダと僕とイマイは、無線から聞こえてくる情報に耳をこらした。たくさんの選手が行方不明になっている。英語の堪能なノダが、チームが契約しているBAJAPITに無線をつないで情報収集するが、情報が錯綜していて正確な情報がつかめない。

シオノは助手席で、寝入っていた。朝から走っていたのだ。走行中に転倒して、肩を脱臼し、はめ直していた。疲れて当然だ。

限界

結局、SPOTを砂漠に落として進んだ杉山は、そこから150kmほど進んだレースマイル404地点で完全に動けなくなってしまった。サンフェリーペの街中からすぐそこの、ゴミ捨て場の横だ。

杉山を探しに行ったタケさんは結局、持っていったGPSの電源が入らず、杉山を見つけられず戻ってきた。GPSの電池を入れなおし、今度はサポートのノダが救出に向かった。ノダがコース上のチェックポイントでスタッフに確認したところ、266Xーーつまりノダは通過していると言う。確かにそれは事実だった。

無線などの情報と合わせ、杉山は交代地点にむかったのだろう、という推測になった。もう深夜だった。みんな、疲れていた。僕が運転して、100kmほども直線の続く国道5号線を北へと向かった。何度も居眠り運転をしそうになりながら、へとへとになって交代地点についた。

ノダとイマイが合図となるフラッシュライトをクルマの横に設置してるのを見ているうちに、僕は寝てしまった。僕は朝5:30にホテルを出て、コース上で写真を撮っていた。シオノがやってきてからはシオノと一緒に100kmほどレースコースを走ってきて、そのあと一睡もしてなかった。でも僕は、アタマのなかで、残り時間を計算していた。ゴールのリミットは、今日の午後3時。ここまで来てくれれば、残りは約250マイル、400km。コースは割合、全開セクションが多いから、タケさんの腕なら、10時間あれば行ける可能性はある。ということは、朝5時までに来てくれればいい。そんなことを考えながら、僕はすっかり寝入ってしまった。

(第4話に続く)

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