MIKAMI'S REPORT 001

HELLO RUSSIA

北海道からサハリンへ向かうバイクツーリングの旅

Hello Russia Vol.1

日本の最北端と言えば、いうまでもなく北海道、稚内市の宗谷岬。今は残念ながら運航を停止しているが、その稚内からロシアへと渡るフェリーがあったことを知っているだろうか。わずか5時間フェリーに乗るだけで、元日本領の「サハリン」に渡り、そこでの旅が楽しめたのだ。そのサハリンを4回に渡って旅をした元FREERIDE Magazine編集長の三上勝久が、その旅をレポートしていく(全3回)。

MIKAMI’S REPORT 001

HELLO RUSSIA

北海道からサハリンへ向かうバイクツーリングの旅

「最果て」は、次なる世界への入り口だった。ずっと勘違いしていた、日本は孤独な島国という幻想。日本と世界の繋がりを実感する旅。

第二次世界大戦終戦20年後に生まれた僕の子供時代、海外旅行は恵まれたごく一部の人しか行けないものだった。そう思っていた人は多いと思うし、実際そうだった。一生海外なんて行くことないのかもしれない、ドリトル先生の本を読んで外国の話にワクワクしながらも、海外に行くなんて現実味のない夢でしかなかった。ところが、僕は今、稚内から船に乗って異国の地に立った。日本から船に乗って海外に行けるなんて! 海外ってこんなに近かったのか! この驚きと、喜びは、なんだ!?

緑、青、白の世界

峠を越えたら、晴れ間が見えてきた。僕らは、砂利がところどころに敷かれた幅の広いダートを走っている。道は鉄道の線路とダンスするように、時に線路の向こうへと繋がり、また線路のこちら側に戻る。アップダウンとカーブがいくつも続く道を夢中になって走っていたら、海が見えた。気づいたら、空はもう、すっかり晴れていた。

島の東側は、まさにこれぞロシア! といった感じの陰鬱な風景だった。オホーツク海ならではの濃い海霧に包まれた道は、どこも寂しく、暗くしか見えなかった。ウズモーリエという街の道ばたに立ち並ぶ屋台でコーヒーとピロシキを買ったのだが、ズラリと並ぶ中年から初老の女性たちには、愛想のかけらもなかった。険悪ってほどじゃあないが、外国人が来たからといってとくに熱心に売り込むわけでもない。ただひたすら買え買えと迫ってくるだけだ。

露店の背後には駅があった。どんよりとした灰色の空の下に、くすんだブルーの貨車がレールの上でゆっくりと動いている。重い色の空の下、無機質な鉄の塊がゆっくりと動いている様は、想像していたロシアそのものの印象だった。

だが、たった22㎞ほどしかないこの島の最も幅の狭いエリアを西に走ったら、まったく別の景色が僕らを待っていた。僕らの左右に広がるのは、美しい緑色の絨毯を広げたような草原だ。そこを、薄茶色の土の道がまっすぐに伸びている。道は下りながら別の道にぶつかり、T字路となっていた。T字路の先は、海だ。

海は、緑色と青色を混ぜたようなちょっと深い碧色。海沿いは崖になっている。GSを道ばたにとめ、歩いて崖の上まで行く。恐る恐る下を覗き込むと、真っ白な波が砂浜に打ち寄せていた。砂浜の消える先には、わずかな建物が並ぶ集落があるのが見えた。

時々、大型のダンプカーが土埃をもうもうと上げて走っていくが、海沿いのせいか、風が土埃を吹き飛ばしていくのでさほど気にならない。一瞬視界が曇るけど、すぐ元の、緑と青と白が鮮やかに輝く世界に戻る。僕らはそんな風景のなかで、自然と笑顔になる。

みんな同じ表情

そこはイリンスキーという街のすぐそばだったんだけど、そこからチェホフまでの200㎞ほどは、ダートバイク乗りにとっては、文句なしで面白い道だった。

雨が降ればツルツルになってしまう土の道は、今日のようなドライだとグリップ感がじつにいい。ABSもASC(トラクションコントロール)もオンにしたまま、ストレートで思いっきり加速し、コーナーでフルブレーキングする。その繰り返しがじつに楽しい。しかも、終わりが見えない道が海に沿って続いている。

イリンスキーからチェホフまで続く土の道は、最高のライディング体験を僕たちに与えてくれた。峠を超えるたびに現れる雄大な眺め。地球を感じる道だった。

青森や、北海道の日本海側とよく似た風景だ。河岸段丘が海のすぐ近くまで迫り、崖となって海に落ち込んでいる。崖と丘のわずかな隙間にフラットで幅の広い道が、アップダウンしながら地平線の向こうに吸い込まれていく。

下り坂では地面しか見えなくなり、上り坂になると空しか見えなくなる。でも、坂を登りきると再び地平線と水平線、それにわずかな集落が遙か彼方に見える光景が現れる。日本とよく似た地形なのだが、風景はまるで違う。標識も看板も少ないし、なにより道がダートだ。これが気持ちよくないわけがない! 

道を走る車の数も、わずかだ。まるで世界から取り残されてしまったのかと感じるほど静かな世界の中を僕らは南へと走っていく。

走るスピードはそれぞれみんな、てんでバラバラだが、立ち止まった時の笑顔は全員同じだ。いまのこの一瞬を、空気を、風を、目に入ってくる風景を全身で楽しんでいることは間違いない。

サハリンへ行った理由

僕らがサハリン— もとは日本領で南樺太と呼ばれていた— というロシア極東の島を走ることになった理由は、BMWが製造しているGSというバイクのプロモーションにあった。BMW・GSシリーズのルーツであるR80G/Sのコンセプトはデュアルパーパスバイク(オンロード、オフロードともに走れる2つの目的を果たすバイクの意味)だったが、現在では世界一周などのハードな旅に最適な「アドベンチャーバイク」というジャンルの代表的な存在となっている。

現在では他社からもこのジャンルのモデルが多く登場して、人気となっている。そんな状況のなかで、GSならではの「アドベンチャー」な世界観を伝えたい……そんなコンセプトで、今回のツアーが実施されることになった。ツアーの名前は、CROSS THE BORDER— 国境を越えろ— だ。

じつは、このCROSS THE BORDERという名前のツアーは、2007年にも実施されている。そのときはロシアのウラジオストックからモンゴルのウランバートルまで走るというもので、本誌ではおなじみのラリードライバー、三橋淳もライダーとして参加していたから、ご存知の方もいるだろう。

今回はその2回目となるわけだが、そこに招かれたライダーは全部で5名。まず、今回の企画の立役者でもあるビッグタンクマガジン春木久史。第1回のCROSS THE BORDERにも参加しているフリーライターの松井勉。BMW MOTORRAD JAPANの社員になったばかりの大西洋介。そして、僕と、紅一点となったフリーライターの多聞恵美である。

マシンは僕がF800GS ADVENTURE。春木がF800GS。松井がR1200GS、多聞がG650GS、そして大西がF700GS。G650GSセルタオがないが、現行のGSシリーズがほぼ揃ったと言っていいラインアップだ。

この5人、5台に加え、サポートカーも用意された。サハリンに複数回訪れているJEC PROMOTIONSの中西悟、ロシア出身の伊山ヤニーナ、ロシアに強い旅行代理店ノマドの伊藤稔の3名だ。この合計8名にロシア人の現地ドライバーを加えた9人でサハリン南部を4日間走る。旅のスタートは札幌で、稚内までの行程を含め全部で6日間の弾丸トリップとなった。

行ってみて変わった考え

サハリンツーリングの記事は、僕が発行していたriderという雑誌でも春木が寄稿しているが、僕自身はサハリンに行きたいとさほど強く思っていたわけではない。

何しろ遠いから「いつか行ければいいなあ」くらいに考えていた。稚内からフェリーに乗れば5時間半で行けるとはいえ、稚内が東京からは遥か彼方だ。東京からバイクでフェリーに乗っていったら、まず稚内に至るまでに出発から3日~4日はかかる。苫小牧に着くとして、そこから稚内まで走るのも相当の距離だからだ。

さらに、ロシアという国の印象も必ずしもよくなかった。映画で描かれるロシアは軍の力が強い、暗い国ってイメージ。入国などに関する手続きも面倒臭そうだし、自由に走れるイメージがない。そんなこんなで、あまり興味がもてなかったのだ。

ところが、新千歳空港まで飛行機で行き、札幌でバイクを受け取り、稚内まで1日で走るという今回のプランはサハリンは凄く遠いという僕の認識を激変させた。

札幌から稚内まで1日で走るなんて、これまで想像もしなかった。確かに距離は500㎞に満たないが、そのルートの左右はライダーにとって天国のような場所ばかりだ。どこにも立ち寄らずに一気に稚内に走るなんて、そんなもったいないことをしていいのだろうか?

だが、サハリンに渡って旅を終えた今となっては、ああ、これは有りだな、そう思える。国境を越えて走る体験は、それくらい価値のあるものだったのだ。

驚くほどの近さ

日本は島国だ。韓国に近い九州や、今回の稚内などを除けば、僕らにとって国境を越えるということは、飛行機に乗ることと同一である。飛行機に乗らない限り国境を越えて外国に行く道は普通、ない。つまり、国境というラインを認識することがまずない。

海外はそうではない。海外で国境を越えた経験がそう多いわけではないが、アメリカとメキシコの国境に行くと感慨深いものがある。道をずうっと走って行くと、その先に別の文化と法律をもつ異国があるわけで、島国出身の僕にしてみれば単純に驚きなのだ。

そして、今回稚内からフェリーに乗った僕は、アメリカからメキシコに渡ったときと同じような、でも異なる感慨をもった。日本と外国ってこんなに近かったのか。いや、違う。日本って、世界からこんなに近かったのか! という感慨だ。

極東サハリンとは言え、そこはロシアだ。ユーラシア大陸という、僕ら日本人からしてみるとかなり遠い存在が、こんなに日本から近いところにあったのか!

日射しを美しく反射する波。その向こうに見える稚内の港の向こうに、驚くほど高い利尻富士が見える。利尻富士は離れれば離れるほどその高さを増していくように見える。稚内から宗谷岬に繋がる牧草地に立つ風力発電機を数えているうちに、船は外洋に出た。稚内港が、日本がだいぶ小さくなって、見えなくなった。

ところが、それから1時間もすると今度は左に陸影が水平線の上に現れ始めたのだ。それが、サハリンだった。

宗谷岬からやや南に下った稚内港からサハリンのコルサコフまでは159㎞、5時間半の航海となるが、宗谷岬と樺太の最南端クリリオン岬とは43㎞しか離れていないのだ。条件が良ければ宗谷岬から見えることがあるというのも当然の話なのだが、実際に船に乗ってその近さから感じたことは、「世界ってこんなに近かったのか」という驚きだった。

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