RIDE THE GRASSLANDS
RALLY MONGOLIA 2019

モンゴルラリー参戦記

ラリーモンゴリア2019

RIDE THE GRASSLANDS
RALLY MONGOLIA 2019

モンゴルラリー参戦記

人類史上最大の領土を築き上げたモンゴル帝国。その大遠征の始まりの地である現モンゴル国を舞台とする国際ラリーレースが「ラリー・モンゴリア」です。4300kmにもおよぶ果てなき大平原を、8日間という限られた時間のなかで走破することを目指します。その過酷さに勝る“魅力”がどこにあるのか? 長年の夢を叶え、このラリーに参戦した編集長が、レース期間中の1日を振り返ります。

もう一体どれくらい走っただろうか。
ボクは朦朧(もうろう)とする意識の中で、ぼんやりと考えていた。

この月面のような荒地を、かれこれ4時間以上小さなオートバイで走り続けている。見渡せる一帯には山ひとつなく、子供の頭ほどある大きな石が無限の大地に敷き詰められている。サスペンションのたっぷり効いたオフロードバイクとは言え、強烈な振動が絶え間なくハンドルを通して伝わってきて、乗り心地の良さなど微塵もない。何時間も赤の他人に肩を掴まれて揺さぶられ続けているように不快な振動で、頭がフラフラとしてくる。

ボクは今、モンゴルの荒れ果てた土漠の地にいる。

広大なモンゴルの大地4300kmを、8日間に亘って走破する国際ラリーレースへの参戦。4年前、このレースに出ることを誓ってオフロードバイク競技を始め、日々練習やレースに明け暮れた。そして、ついに念願が叶ってここまでやって来たのだ。

1日の平均的な走行距離は500kmから700km強。東京から大阪や岡山県にまで至る距離を8日間毎日走るという、興味がない人にとっては苦行のようなこのレースに、ボクは長い間想いを馳せていた。何よりもモンゴルは、多くのオートバイ乗りにとって憧れの地と言っても過言ではないと思う。砂漠、土漠、草原。おおよそ、広大という言葉に含まれる全ての要素が詰まっている。そして世界の辺境の地を走る、このラリーという競技に参加するライダーは皆、モンゴルほど美しい国は他にないと口を揃えていうのだ。

うっすらと前後に見える跡が、ピストと呼ばれる道である

とはいえ実際に走るとなると、これほど長い距離を走るのはさすがに簡単ではない。日々の疲労蓄積に加えて、夜間走行の危険度は昼間より圧倒的に高いので、必然的に明るい時間のアベレージスピードをあげて走るしかない。昨夜には1人のライダーが夜遅くになっても帰らず、GPSを頼りに関係者が捜索に回った。真夜中にようやく見つけたそのライダーは、精も根も尽き果て、荒野の暗闇に倒れていたという。

また別の日にはモンゴル人のトップライダーがボクの直前で派手にクラッシュして、意識不明の重体。ボクと競っていた2人のライダーは共にレースを中断して、一緒に救助活動を行った。明らかに危険な状態のライダーのためにイリジウム携帯でヘリを呼び、緊急搬送してもらう。さすがにこの救助活動の直後はアクセルを開ける手が重く、気持ちも乗ってこなくて辛かった。

翌日の走行は12時間を超えるうんざりする1日。夜遅くにゴールした後、ボクはゲル(遊牧民が使うテントのような家)に自分の大きな荷物を運び込んでいた。長時間のライディングで腰を痛めて、自分の足で立っていることさえつらい状態だったので、両肩に食い込む2つのバッグを運ぶのは大変だった。すると今大会で総合優勝することになる、若かりし頃の朝青龍にも似たモンゴル人の青年が、ボクから荷物を黙って奪い取り、どのゲルだ?と目で問いかけてくる。そして、拙い英語で語りかけてきた。
「昨日は、友達を助けてくれたそうだね。ありがとう」
「ああ、目の前で倒れていたからね。彼は大丈夫か?」
「背骨をやっちゃったけど、命は大丈夫」
「そう、それは良かった。ところで荷物ありがとう。今日のルートはタフだったな」
「タフ?全然平気だよ。夕方には戻ってきたさ」
ニヤリと笑って荷物をゲルに置くと、若き朝青龍は片手をあげて去っていった。チャンピオンにもなるとレースの捉え方も全然違うのだろう。彼の若さと速さが羨ましい。

主な宿泊はこの移動式ゲルを使用。だいたい3人程度で寝泊まりする。

さらにその2日後。今度は一緒に救助活動にあたっていた日本人ライダーのK君が、草むらに隠れていた大きな石にバイクを吹き飛ばされて、先日のモンゴル人ライダーと同じ姿勢で倒れているところに通りかかることになった。肩甲骨を折った彼も、そこでレースをリタイアすることになる。こうして毎日、誰かが戦列を離れていった。怪我やマシントラブル。理由は色々とあるが、結果的にこの年の完走率が50%強という厳しいレースだったのは、好天に恵まれてアクセル全開で走る場面が多かったせいなのかもしれない。

だが、そんな危険な場面に何度遭遇することがあっても、憧れの地モンゴルにやってこれたボクは、ただ嬉しかったのだ。

ラクダとハエとランチタイム

太陽がそろそろ真上に近づき始めた頃、前方にようやく人影のようなものが見えてきた、と思ったら30頭ほどのラクダの群れ。遊牧民に飼われているラクダらしいが、届くかぎりの視界に人の姿はなく、野生のラクダと何も変わらないように見える。その群れの横をエンジン音で驚かさないように、そうっと走り抜けた。下手に刺激をすると、驚いた動物は逃げる方向を間違えてバイクに追突することもあるという。実際に、一度牛に轢かれそうになったこともあった。まさにバイクで轢くのではなく、バイクが轢かれると感じた瞬間。それ以来、動物は絶対に刺激してはいけないことを学んだのだ。

モンゴルに野生のラクダはいないそうだが、これほどモンゴルの風景に似合う動物もいない

ラクダの群れをやり過ごすと、またひたすら同じような景色が延々と続く。さすがに疲れを感じたので、バイクを停めて休憩することにした。前走車も後続車もいないので、ついでに大地に向かって用足しを少々(トイレなどどこにもないのだ)。と、そんな時に限ってなぜか後続車が目の前を通過するのだから、なんだか騙された気分だ。

気を取り直し、主催者から配給されたランチパックを取り出してランチを取ることにした。乾いた砂漠に座っていると、昔見た「マッドマックス」という映画を思い出す。メル・ギブソン演じるマックスの、その孤独なカッコ良さは衝撃だった。考えてみると、こうして荒野を走ることに憧憬を感じるのは、マッドマックスが理由とも言える。あの映画の舞台はオーストラリアだったけど、眼前に広がる風景もそっくりに思えてくる。ランチを食べながら、のんびりと憧れの映画に似た景色を楽しんでいたボクは、そこでとつぜん今朝の話を思い出した。

モンゴルの砂漠にはかなり危険なハエがいて、人間の眼球に一瞬にして卵を産みつけて飛び去っていくというという。今朝のブリーフィングで、レースディレクターから注意するように言われていたのだ。去年は2人の参加者がこのハエにやられて病院送りになったそうだ。それまで無意識に手でおい払っていたけど、ふと見回せば顔のまわりをたくさんのハエが飛び回っているのに気がついた。

人間の目に卵を生みつける?
レースを諦めて、病院送り?
急に食欲を失ったボクは早々にランチを終えて、レースに復帰することにした。

ゴールのハルヌール湖に向けたラストスパート

長いステージの佳境へ

延々とただただアクセルをオープンにしてひた走る、そんな長い1日もやがて終盤に差し掛かってきた。

道から岩や石が消えて、ふかふかとした砂地が続く。
陽の沈む夕景の砂漠がひたすらに美しい。
日本では見ることが叶わない、想像を超えた風景だ。

岩がなくなってアクセルを開けやすくなったおかげもあって、走行スピードもぐんぐん上がり、気分も乗ってきた。ゴールに近づくにしたがって、先ほどまでの苦しさから解放されていく。ここはかなりの砂が堆積しているうえに、左右にひどく蛇行しているので、まるでモトクロスコースを走っているようだ。バイクの上に立ち上がった姿勢のまま、砂地のワインディングロードを右に左に駆け抜ける。その永遠に続くかのようなリズミカルなライディングは、波のフェイスでマニューバを描くサーフィンや、ゲレンデのうねりを駆け抜けるスキーと似ていて、その心地良い律動が、やがてライディングハイとも言える恍惚感をもたらしてくれる。

夕陽と砂漠。
アクセルのオンとオフ。
快楽のピスト。

やがてゴールが現れて、長かった1日の終わりが告げられた。

西に進むにつれて大きな山が現れてくる

今日も陽が沈み切る前になんとか無事にゴールに辿り着くことができた。そこからさらに少しだけ走り、本日のビバーク(宿泊地)に到着すると、先にゴールしていた面々が、ずっと前からここにいる風情でビールを飲んでいる。そこで、ようやく今日の長い1日が終わったと実感できた。

素早くシャワーを浴びてビールを飲む。どの場所でも冷えてないビールしか売ってないのがとても残念だけど、それでもビールはビールである。羊料理を頬張りながら、ぬるいビールで流し込んでいく。このレースウィークを通して知り合った連中と、その日のレース談義に花を咲かせる。聞くところによれば、明日は今大会のハイライトとも言える砂丘越えがあるらしい。広大な砂の山を超えることができなければリタイア必至。周りから要注意の難所だとアドバイスされ、そして個人的にもっとも楽しみにしていた、憧れのサンドデューン。

その場所にいよいよ到達するという。

明日もこうして旨いビールが飲めればいいな。
小さな興奮と不安が混ざったボクの小さな呟きは誰の耳にも届くことなく、
明日に向けて盛り上がる皆の向こうに静かに消えていった。

しゅう Shuichi Ashikaga

COLUMN