SPECIAL CONTRIBUTION

阿部雅龍 - 冒険の経済学

第 2 回

阿部雅龍-冒険の経済学 第2回

「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける阿部雅龍がお届けする、冒険の経済学。彼がこれまで数多くの冒険を成功させてこられたのは、周囲の手厚いサポートや応援があればこそ。若くしてプロの冒険家としての道を選択し、ここまで活躍してきた背景には、冒険とは切ってもきれない「お金」という現実と真摯に向き合ってきた結果だと彼は言います。なかなか聞くことができない冒険家の経済事情を、スタンスケープにて独占配信。 第2話(全3話)。

SPECIAL CONTRIBUTION

阿部雅龍 – 冒険の経済学

第 2 回

 「阿部ちゃん、冒険家ってのは世の中の動きを見なきゃダメなんですよ。そうじゃないと夢は実現しないよ。」

 齢50歳を超えたにも関わらず頑健な筋肉質の身体の男性が、起き抜けにお茶を飲みながらテレビニュースを流し見しつつ、拡げた新聞を読みながら僕に言う。日本を代表する冒険家の1人のおおよそ冒険家らしくない発言に、20歳そこそこの僕は椅子を転げ落ちそうになった。

冒険と経済というテーマで書こうと思うなら彼の話は避けて通れない。僕にとって何より幸運だったのは、駆け出し時代に恩師となる冒険家・大場満郎氏が主催する冒険学校で寝食を共にして暮らしていた事だ。“冒険家の処世術”の初手を彼の言動から学んだ。

北極南極を単独で横断し、両極点の冒険で2億の資金を個人で集め、京セラの稲森会長や名だたる大企業や著名人に支援されていた。価値を認めて貰いにくい冒険で億を集めるというのは、今の僕にとっても大変なことだが、当時の僕にとっては生身で宇宙空間を泳ぐくらいに、とてつもなくハードルが高く感じた。自分の好きなこと、しかも日本社会という冒険に価値を感じてもらいにくい環境で億のカネを集めるって、どうやったら・・・。

 僕が感じた先達である大場さんの極意は、「自分を徹底的にブランディングし、人間関係は当たり前の事を誰よりもやる」だった。

 彼のブランド化戦略はシンプルかつインパクト大だ。冬だろうと一年中Tシャツだ。それどころか、人の結婚式でも当たり前にTシャツ一枚で行く。TPOぶった切りだ。大場さんは鍛えた身体をしているものの、背が高くなく顔立ちも目立つ感じではなく印象に残るタイプではない。だが、結婚式や真冬にTシャツで現れるので、周囲の人に強烈な印象を与える。冒険家にとっても経営者にとっても、まずは自分を覚えて貰う事が最優先事項だ。大場さんはそれをTシャツ一枚で最大限に安価で表現していた。冒険家という生業ならば、世間知らずに見えたとしても納得して貰い易い。もっとも、冬の寒さに耐えられない人や、世間体を気にする人にはできないだろうが。

「冒険には多額の資金が必要だから服を買うカネはないし、寒さは北極に行くための耐寒トレーニングになる。」

と彼は笑って話していた。駆け出し時代の僕には分からなかったが、僕自身がプロになったいま考えると、完全にトレーニングを兼ねた自分のブランディング戦略の一環だ。

大場さんは人に好かれる人であり、人付き合いを大事にし、“当たり前”を丁寧にやる人だった。その当たり前をやるレベルが常軌を逸脱していた。

SNSの台頭でリアルに会わなくても近況が分かるようになったのも一因かもしれないが、皆さんは年賀状を出すことが無くなって来たのではないだろうか?大場さんは年賀状を手書きで千枚書く人だった。どれだけの時間がかかるか想像もつくだろうか。住所宛名も手で書くとなると1枚15分はかかる。となると1万5千分。つまり10.4日間に相当する。

これだけの事を出来る人がどれだけいるだろうか。生半可の人への想いではできることではない。受け取った人は、その大変さを読み取り、自分にそこまで時間を使って書いてくれたことを嬉しく思い、もっと彼を応援したいと思ったはずだ。彼はお礼状も本当にマメで、お中元などが届いたら必ずお礼のハガキを書いていたし、目下の僕の贈り物にも必ずお礼ハガキをくれた。“平等にみんなを特別扱いする”人だった。

結婚式にTシャツで現れて、とんでもない世間知らずかと思いきや、人からの応援に対して誠実で筆まめ。まさにギャップの演出だ。人はギャップに弱いのだ。僕自身も支援者さまがいてこその冒険をするようになってそれを理解した。

簡単なことだった。

目標を実現する過程は、自分を魅力的な商品にして、自分を売り出し、人に価値を見出してもらう事だ。世の中全ての事がそうであるように、冒険ですらそうであることに気付いたとき、「冒険家ってのは、世の中の動きを見なきゃダメなんですよ。」の恩師の言葉が再び降り注ぎ、僕はビリビリと全身がしびれる想いがした。

阿部雅龍(あべまさたつ) 1982年秋田市生まれ、潟上市(旧昭和町)育ち。「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける。秋田大在学中の2005~06年、南米大陸のエクアドルからアルゼンチンまで1万1000キロを自転車で縦断。10、11年に北米ロッキー山脈の計5300キロを縦走。12年に南米アマゾン川1200キロをいかだで下った。14、15年はカナダ北極圏で計1250キロを単独踏破。16年はグリーンランド北極圏750キロを単独踏破。21年に白瀬中尉の最終到達点「大和雪原」を経由して、南極点まで単独踏破することを目指している。著書に「次の夢への一歩」(角川書店)がある。

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