SPECIAL CONTRIBUTION

阿部雅龍 - 冒険の経済学

最終回

阿部雅龍-冒険の経済学 最終回

「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける阿部雅龍がお届けする、冒険の経済学。彼がこれまで数多くの冒険を成功させてこられたのは、周囲の手厚いサポートや応援があればこそ。若くしてプロの冒険家としての道を選択し、ここまで活躍してきた背景には、冒険とは切ってもきれない「お金」という現実と真摯に向き合ってきた結果だと彼は言います。なかなか聞くことができない冒険家の経済事情を、スタンスケープにて独占配信。 最終回 (全3話)。

SPECIAL CONTRIBUTION

阿部雅龍 – 冒険の経済学

最終回

 冒険を日本にローカライズする、冒険家も世の中の動きを見る、自分を商品化する。

 と歴史と恩師の例を踏まえて前のコラムで解説した。さて、では僕がどうやっているかの実践例だ。

 読んできた皆さんは冒険と経済が密接に関係する事を理解しただろう。冒険家は浮き世離れした生き方に見られるが、実際には地に足をベッタリとつけなければダメだ。多くの冒険家志望が大きな冒険を夢見るが、実現できる人はごく僅かだ。冒険の規模が大きくなるに比例して、費用は膨れ上がる。その現実を乗り越えられないからだ。僕の場合、南極に上陸するには、国の観測隊ではなく民間人なので飛行機をチャーターして行く必要がある。チャーター会社から提示された金額が7500万円だった。カネなしコネなし夢だけはある冒険野郎にとっては絶望的な金額だ。

 では、カネがないという理由で夢を諦めてしまうのか。隣の芝生が青いのを見て指をくわえて人生は送るのか。

 僕はそんな生き方は絶対に嫌だった。失敗するかもしれないが、行動しなければ失敗すらしない。どうせ人生は一度切り。覚悟を決めて動いて集めた。

 だからこそ言えることは、やってみよう、と言う事だ。やってみなければ分からない。

 エクスペディション(冒険遠征)をどう日本にローカライズするかだが、結論から言うと冒険自体をローカライズする事はかなり難しい。歴史から生じる国民性から鑑みても、冒険という行為が日本社会で手放しに支援して貰える土壌があるとは思えない。冒険のみならず、日本では本当にリスクをとっている人に支援が集まりにくいという部分がある。なぜならば、日本には極端なリスクテイカーが多くないからだろう。

特に大企業はリスクを取りたがらない傾向にある。大企業から冒険自体に支援を集めるには、宣伝の費用対効果を考慮して相当な有名人になるか、リスクをほぼゼロにし絶対に死なない冒険をするか、の2つが考えられる。

 ここで大事な事が、冒険とは“カウンターカルチャー”であるという事だ。それぞれの志す道の“本質”が何かを理解していないと、世間の声に自分の意志がゆらぎ、志が拐かされるだろう。

冒険行為自体が既存の枠組みを飛び越えていく性質を持ち合わせている故に、冒険家という生き方は決して世の主流にならない。カタギというよりは任侠の生業に近いように思う。相当なリスクテイカーの冒険家が有名人になる事はあまりない。

リスクがほぼゼロに等しい冒険はもはや冒険と言えるのか、という矛盾が生まれる。冒険というのは、“死”という生命上の最大のリスクがあることが華だからだ。

上記の事より、冒険と大企業は相性が良くない。支援する企業は冒険家が死ぬ可能性があるという事を理解しなければならない。支援企業にとっては、死なれてしまうと、自社の評判まで下がるのではないかと考えてしまう。成長してもリスクテイカーの企業であれば別だが、規模が大きくなればその在り方は難しい。経営者が支援したいと思っても、雇われ社長の事もあるし、株主や役員にどう説明するか、と言った問題が生じる。

物事はごくシンプルに考えるのが大原則だ。リスクテイカーを支援するのはリスクテイカーだ。これは冒険家だけの話ではない。つまりは中小企業かベンチャー企業などのオーナー社長だ。長の一存で裁決することができる。始めはそう言った人に会うのは相当に苦労するかもしれないが、リスクテイカーの周りにはリスクテイカーが集まるはずなので、出逢った人から紹介してもらう形で支援の輪を拡げて行けばいい。SNSを活用して繋がるも良いのだが、できればリアルに会う、それが難しければ“大場流”で手書きの手紙を何度も送ってみることをオススメする。僕は恩師に見習って筆まめになった。名刺交換した方のほぼ全員に手書きのお礼ハガキを送り、それだけで年間30万円を使っている。スマホで簡単に済ます時代だからこそ、手書きに価値があるのを忘れてはならない。

経営者のみならず、多くの人に印象つける為には、自分のブランディングをする必要がある。印象に残り応援したくなる人でなければならない。だが、どうにも僕の生来の外見は冒険家っぽくない。ずんぐりむっくりでヒゲでも生えていれば、世間から見て完璧な冒険家っぽいのだが、あいにくヒゲも生えないし、体型が細い。その点、恵まれなかったと言える。

そうなると、発想の転換だ。“冒険家っぽくない冒険家”を目指すことにした。見た目も清潔感がある服装や髪型にして、歯もホワイトニングし、鏡を見てどう口角を上げれば親しみのある笑顔に見えるか練習した。笑顔の参考にしたのはミッキーマウスだ。冒険家は生き方の主張からか、スーツを着たがらない人が多いが、その状況を逆手にとって、僕はよくスーツ&タイで現れるので、かえって印象に残る。

ここに、いつもニコニコしていて人懐く清潔感のある青年にしか見えないのに、実は世界中を冒険しているというギャップが生まれる。冒険家っぽくない冒険家がこれで完成した。始めの頃はそのキャラをする事に無理があったが(なにせ本当の僕は人見知りの口ベタ)、ずっと続けているうちにそのキャラが定着し、演技ではなく素の自分になる。

 冒険自体を理解して貰う必要はないのだ。冒険してない人に本質を理解して貰うことには無理がある。

冒険家・阿部雅龍という1人の人間を応援してくれればいいのだ。自分を中心として放射状に人の繋がりを拡げて行けばいい。ただし放射円を拡げるには相応に自分も成長する必要があるし、応援以上のパフォーマンスを発揮できなければならない。

まとめるなら、自分の活動の本質を定め、自分を理解してくれる支援者の円を拡げる、応援されやすい人物になる、の3点に収束されるだろう。この要点は冒険家だけでない、全てのリスクテイカーに応用できるのではないだろうか。

世の中には、「スポンサーをつけて冒険したら制限色々あって、自由じゃないだろ。」と言う方もいる。

そのアンサーとして恩師が僕に言った言葉を引用する。

「冒険はさ、現場では独りでも、支援してくれるみんなの気持ちと一緒に冒険した方が楽しいんだ。」僕もそう思う。好きなことをして、人に応援してもらって生きている。僕の冒険は単独行が多いが、いつも胸には支援者の皆さまの気持ちがある。こんなに幸せなことがあるか。

阿部雅龍(あべまさたつ) 1982年秋田市生まれ、潟上市(旧昭和町)育ち。「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける。秋田大在学中の2005~06年、南米大陸のエクアドルからアルゼンチンまで1万1000キロを自転車で縦断。10、11年に北米ロッキー山脈の計5300キロを縦走。12年に南米アマゾン川1200キロをいかだで下った。14、15年はカナダ北極圏で計1250キロを単独踏破。16年はグリーンランド北極圏750キロを単独踏破。21年に白瀬中尉の最終到達点「大和雪原」を経由して、南極点まで単独踏破することを目指している。著書に「次の夢への一歩」(角川書店)がある。

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