THE INTERVIEW 001
古道再生プロジェクト【後編】
THE INTERVIEW 001
古道再生プロジェクト 松本潤一郎【後編】
THE INTERVIEW 001
古道再生プロジェクト 松本潤一郎
(後編)
西伊豆古道再生プロジェクトの発起人、松本潤一郎氏が語る旅の魅力、後編。南米23000㎞の旅を終え、今後旅先で職を得るため、西伊豆にて日本料理の修行をはじめた松本氏。その職場の同僚が教えてくれた「古道」との出会いが、人生の大きなターニングポイントへとつながる。
西伊豆の旅館にて働きはじめた松本氏。自ら選んだ土地での修業はどうだったのか。
「早く次の旅に出たい、って思ってました(笑)」
やはり楽しい修行なんてものはそうないようだ。働いている合間に考えた次の旅行プランは、またオートバイによるもの。今度は日本で乗っているバイクをもっていくつもりだった。行程は、ロシアのウラジオストクをスタートし、ユーラシア大陸を西に横断しヨーロッパへ。そのままフランスかスペインで働こうと計画していた。
「調べたら、パリなどでは日本料理のシェフは月給4000~5000ユーロ(日本円で50~60万円以上)で雇ってもらえる。しかもバケーション(長期休暇)付きで。めちゃくちゃ待遇いいじゃんって思って」
そのままヨーロッパに定住するつもりだった?
「いや、最終的に住みたいと思っていたのはチリでした。ヨーロッパのあとは、アフリカ大陸を走り、そのあとまた南米をちゃんと走りたいと思っていて。暮らすならチリだなって思っていました」
魚とワインがおいしく、6000m超えの高峰が連なるアンデス山脈を背負いつつも、気候が温暖なチリ。治安もよく、経済も安定しており、これまでに旅してきた国々のなかでいちばん暮らしてみたいと思える国だったのだ。
ところが、この旅はいまだ実現されていない。松本氏はいまなお西伊豆にて暮らしている。
「そのきっかけは、『古道』を発見してしまったことですね」
西伊豆古道との出会い
西伊豆の古道との出会いは、旅館にて一緒に働いていたお年寄りたちの話を聞いたことからはじまる。この70代の同僚たちと仲良くなったきっかけは南米の話だという。
「西伊豆は遠洋漁業が盛んだったので、みんな元船乗りだったんですよ。だから、コロンビアのカルタヘナの話とかがふつうにできる(笑)。おもしれえ人たちがいるなって思いましたね」
西伊豆にはおもしろい人たちがいる。その出会いが彼のなかに築かれていた日本のイメージを壊しはじめる。これまで横浜や名古屋などの都市に暮らしてきて、日本は自分には合わないと思い込んでいた。けど、伊豆が違うと教えてくれた。同じ日本ながら雰囲気や流れている感じがまったく異なり、この土地の魅力に気づきはじめる。
そんな仲間たちが、あるとき昔話をしてくれた。
こどものときは、山をすべて歩けた
”古道”があって
そこを馬が通ったり、山で焼いた炭をソリでおろしていた
「もともとトレッキングで旅してたんで、ええっ、そんな道あるの!?ってめっちゃ食いつきました(笑)」
道への興味は人の何倍もある。西伊豆に来てからも、自宅裏の山に道や遊歩道が整備されていないことに疑問を感じていた。好奇心はすぐに彼を動かす。お年寄りたちの話を参考に山のなかを探しに行くと、まるでBMXのハーフパイプコースのような掘れた道をすぐに見つけた。調べると、その道は100キロ単位で続いているらしい。インターネットで見つかる情報ではない。松崎町の教育委員会におもむき、明治時代の地図を借りて、ひとり調査した。旅のときに似た高揚感が止まらなかった。
そして、悠久の道を前に2つの想いが生まれる。
マウンテンバイクでこのハーフパイプ(古道)を駆け下りたらおもしろいはず
ひとつは2輪好きの松本氏ならではの発想。もうひとつは
自分がこれまでに旅してきたネパールのアンナプルナや、南米のパタゴニア、ペルーのインカトレイルのように、ここを世界中から人がやってくるトレッキングコースにできないだろうか
というもの。これまでの旅が自然とアイデアを生み出していた。
マインドチェンジ
ただ、この時点ではこの古道との出会いが仕事につながるとは思っていなかった。
「短い区間を直してみて、自分でマウンテンバイクで走れたらおもしろいな、ぐらいの気持ちでしたね」
もちろん、必要な手続きはとった。調べると、過去に古道を利用していた馬やソリなどは分類上、軽車両となる。つまり、同じ軽車両である自転車で古道を利用しても問題がないことがわかった。すぐに、古道を管理している町や区に、自分たちで整備して道を開くので使わせてほしいと話に行くと、アイデアのおもしろさが伝わり、許可が下りた。
早速、木こりをやっている友人を誘い、チェーンソーを持参してもらって、2人で手探りで道を修復していったところ、これが思いのほかうまくできた。
もうひとつ、松本氏を動かす動機となったのが、旅館での就労だ。これまでの人生において何でも自分で判断してきたために、雇われ仕事が性に合わず、「自分の仕事」をしてみたいという気持ちが日に日に強くなっていた。
「このとき29歳でしたが、いまからフランスに行っても結局誰かに雇われるのか、って思って。だったら、自分で仕事をつくって、1年のうち2か月ぐらいを休めるようにすれば、そっちのほうが旅にも出られるなって気づいたんです」
プランとしては、平日に紹介してもらった林業の仕事をし、週末に古道の再生、マウンテンバイクツアーのガイドをするというもの。
「マウンテンバイクを買うなど初期投資は必要だけど、このプランなら週末の2日間で2~3人ずつガイドすれば、旅館の給料の倍以上稼げるってことがわかって。だったら、やろうって」
旅のための修業は、いつしか旅のためのベース(拠点)づくりへと変わっていった。
自分の仕事
やりたいことが明確になったあとの彼の行動は、いつも迅速だ。
古道の話を聞けば、すぐに山に探しに行き、
整備してマウンテンバイクで走ってみたいと思えば、すみやかに管理者を訪ね、
許可を得たら、ただちに古道整備とマウンテンバイクのコースづくりに取りかかった。
そして、1年をかけて3つのコースをまず完成させた(現在は7コース)。ツアー名はYAMABUSHI TRAIL TOUR(山伏トレイルツアー)とした。
1年目のお客さんは、160人ほど。
2年目にはそれが一気に500人に増えた。
そして、3年目には国内外から700~800人がやってくるようになった。
「最初の2年ぐらいはひとりでやってましたが、さすがに3年目からはスタッフを雇わないとまわらなくなりましたね」
同時進行で平日の森林整備も規模を拡大していく。
こちらも、チームをつくり、年間単位の仕事を受注するまでになる。
さらに、2018年には宿泊施設、兼、情報発信基地のLODGE MONDO-聞土-をオープン。
2020年には海のアクティビティであるカヤックフィッシングツアーもスタート。
どんどん大きくなっていく“自分の仕事”。
一見、自力で成し遂げること、孤独を味わえることが魅力だった旅とはかけ離れた世界に足を踏み入れたようだが。
「仕事でしたけど、楽しかったですね。自分たちの手でどんどんコースが完成していって、来てくれるお客さんも増えていって」
気づいたら旅のおもしろさを伝える側に立っていた。利用者は世界中からやってきた。彼がつくり出す“おもしろさ”は世界共通だった。
「日本の人って、欧米でできたかっこいいものをそのまま真似るんですよね。そこに自分を入れない。再昇華させない」
自分が手がけるのであればそこがチャンスだと思った。古道という言葉は、世界中の人に興味を持ってもらえるようにANCIETNT TRAIL(古の道)に。マウンテンバイクのツアー名も、かつて古道を利用していた神秘的な山伏たちよりとって、YAMABUSHI TRAIL TOURと命名。コースをつくる際に見つけた馬頭観音なども日本の歴史を感じられる見どころとしてピックアップした。どうすれば人がよりワクワクするか。その答えを彼は旅を通じて知っていた。
独自の勉強も続けている。
「結局、僕らがやっていることって観光なんです。だから、人に伝える勉強はしなくてはいけない」
BASE TRESが手がける事業のプロモーションムービーは、すべて彼のディレクションによるものだ。映像業界での経験はない。さまざまな映像を見て、自分の頭のなかにある“おもしろさ”を理解し、伝えられる映像を撮ってくれるフィルマーを探した。そして、遠く徳島に見つけると、迷うことなく西伊豆に来てもらった。
怒涛の事業展開。気づけば旅をしたのとほぼ同じ年月、10年が古道を再生しはじめてから経っていた。
はてしない旅
西伊豆に定住するかたちとなってもうすぐ15年。彼は安住の地を見つけたのか。
「西伊豆はすごい気に入りましたけど、そろそろ移住したいって考えてます(笑)。奥さんもこっちの人間で、会社もつくって、基盤というか、“帰ってこれる場所”ができた。なら、期間はわからないけど、たとえば北海道に3年ぐらいいてみてもいいかなっていまは思っています」
三つ子の魂、百までも。旅人の魂は消えていなかった。ひとつ変わったとしたら、家族ができたことか。旅人が根を下ろすきっかけともなる存在だが……
「僕は一緒に連れていきます。コロナ前の2019年に行ったネパールも、長女のあこやと一緒に行きましたし、さっき言った北海道も行くなら家族全員でって考えてます」
さらに、仕事に関しても
「仕事があるからあるひとつの場所にいなくてはいけないって理由は何かおかしいと思う。たとえば、BASE TRESの場合、僕がいなくても仕事がまわる仕組みができているので、先ほど言った北海道も、その役員報酬と、あとは現地で鮭の加工場で働くなど、その土地でしかできないことをやってみたいなって考えてる」
旅が有益なものという確信があるからこそ、その姿勢はぶれない。
「事業をアウトプットだとするなら、旅は僕のなかでインプット。アウトプットしすぎてインプットが不足してきたなって思ったら、いつでも旅に出ます。それが仕事的にもいい結果につながるってことを知っているので」
人生にも、仕事にも不可欠なもの。
彼のなかで旅の意味は明確だ。
だからこそ、その旅は生涯終わることはないのだろう。